さきこさんの運命

あの、デヴィ夫人よりも前にインドネシアに行った日本人女性がいることはあまり知られていない。

周防さきこさんといいます。
デヴィ夫人はインドネシア商戦の利権獲得に
「コパ・カバーナ」の根本七保子を、スカルノに差し出すことを企みました。
19歳の七保子に500万円と都心の一等地100坪を与え
交換条件にスカルノと対面させたそうです。
スカルノは大いに七保子を気に入って、昭和34年 七保子はジャカルタに渡ったんだけど、
(七保子というのはデヴィ夫人のことです)
昭和37年 七保子は正式にスカルノの第三夫人となり、
日本国籍を除籍し、インドネシア国籍を取得します。
すごいよね。
名をラトナ・サリ・デヴィ・スカルノに変えました。
サンスクリット語でラトナは宝石、サリは聖、デヴィは女神の意味。
聖なる宝石の女神
スカルノ大統領が付けた名前なんですって。
そのころ、さきこさんは自殺されているんです。
彼女の事が書かれている本もあるので、是非読んでみたいところです。

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